幕末の人物

幕末の人物

山県狂介
・明治に山県有朋、と名を改める
・ほかにも小輔などといわれる
・三代目内閣総理大臣であり、通算三回就任している
・一品会という、長州閥をつくった
・人気はない

 

山県もまた、中間という足軽よりも低い身分から這い上がった人物である。
伊藤と違い自分が松下村塾生であったことを誇りに思っている反面、自分の飛躍となった高杉の存在には口が重かったといわれる。

最も高杉に関しては明治の関係者は一様に口が重かったため、山県に区切る話ではないが。

山県は吉田栄太郎が比喩した「高杉は鼻輪の通さぬ暴れ牛。久坂は坊主、入江は木刀。で、山県は木の棒な」という比喩を回りに明治期話したという。
さぞ、周りは返答に困ったことだろう。
これには理由があって、伊藤と違い四天王と同列(?)に語ってもらったことを誇りに思った、のだという。
鬱折してるなぁ・・・

山県は松下村塾での成績は芳しくなかったようだ。
彼が世に出る飛躍は、奇兵隊である。
奇兵隊で松下村塾出身であり槍が扱えた山県は黙々と業務をこなし高杉に振り回されることで、軍事総監の地位を得ることになる。
隊長の赤根武人が政治に奔走して業務をおろそかにしている傍ら、黙々と業務をこなし下級の声を聞いた山県は組織内での評判がよかったそうだ。

そんな奇兵隊を山県は大切にした。
じぶんが唯一大手を振って歩ける地位が奇兵隊にしかなかったためだ。
だからなのか、高杉の決起に参加しなかった。
参加したのは伊藤率いる力士隊と数名。たった80名で高杉はクーデターを起こし、高杉が組織した奇兵隊はそのメンバーにいなかった。

高杉の連戦連勝を聞くと、奇兵隊の隊士たちは高杉との行動を望んだ。
たとえ組織した3ヵ月後に高杉がお役ごめんになってしまっているとはいっても、奇兵隊にとって高杉の存在は大きかったのだ。ほかの誰でもない、上士の高杉は藩侯に立ち会って組織した組織だからこそ、奇兵隊は出来上がったのだから。

しかし一度は断った身、山県は困惑した。
一応出陣はするが、高杉とは違う経路をたどり、合流しなかった。
そんな山県に高杉は「俺とお前は焼き山かずら 裏が切れても根は切れぬ」と袂をわかっても縁はつながっていると歌い、山県率いる奇兵隊と高杉率いる決死隊が合流した。

ちなみに石橋をたたいて渡る味噌徳利の山県が狂介と改名したのは、出陣の陣中である。
「この身もはや狂気」ということらしい。山県らしくない、と高杉たちが笑ったとか笑ってないとか・・・

明治になり山県は奇兵隊での経験を重用がられた。
だが重用したのは長州と大っっっっ変水の合わない西郷だったため、木戸から「西郷に貸しをつくるなといっただろ!!」と小言を言われたそうな。

2008年10月 2日|

カテゴリー:JSミュージックブログ

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